薄々感じていた別れの連絡を受けて仕事先に報告を入れると、年末という慌ただしさで疲労と共に埋められ、溌剌とした照明だけがしらじらしく透明を装う空港から故郷へ向かう。
彼のことは語れるほど深く知らず、語れぬほど浅い距離でもない。もっと話をしておくべきだったとは感じられなく、互いに生きた中で必要なことは伝えていた・・・と思いたい。
最後に会ったのは去年の夏になる。ここ2,3年で枯木に近づいていく手足、いつ頃からかと首をかしげたくなる歪曲した腰、物言いは覇気を倦怠がとって代わり、その動きは風すらしのげないのではと思わされた。たった数年の間で会うたびに見違えていった。
老い、まざまざと終末へ向かう足取りをおよそ半年か1年毎に焼き付け、これが最後かもしれないと考えながら別れの挨拶をして車に乗り込む。これもまたいつの頃か車までの見送りが家の中からの見送りに代わっている。
「健康には気を付けて、帰りも気を付けて」
「わかった。そっちこそ気を付けて長生きしてよ、そうしてもらわないと困るんだから」
「おぉ」「うん」
彼の目に差す紅色と薄く浮かぶようになった水には気付かないふりをする。よくわからないYESの意味を込めた弱い発声と表情を見終わって握手や背をたたき手を振る。
帰路ではあきらめと期待を混ぜた具を寂しさと少しの苦みで包んだ”なにか”を噛みながら、毎回この味の深みには入らぬよう、表層を舐めるだけで背骨にまでは届かぬよう誤魔化していた。
小窓から覗く顔は半年前より少し痩せているか?そうよぎったが、化粧のおかげかはたまた本当にそうなのか、穏やかに閉じ再度開けることはない瞼と口元に少し安堵した。
「お疲れ様」
二人きりになれた時間に、そう話しかける。感謝と労いに人生への皮肉を薄く塗って。
供養とはなんであろうか、生との別れを繰り返し、自身の中で諸々の念が渦巻くものの、なんとか身を寄せることができるだけの、弱弱しいがひとかけらの回答を描き出せている。それは”想い出す”ことである。
宗教によっては事あるごとにイベントが設けられているし、それによって集まり会話することもひとつであろうが、ひとり、孤独に、故人に想いを馳せ、噛み締めることはできない。
己の中の故人について、隅に眠った記憶を探し歩いたり、会話してみることである。頭で生かすことである。よく見聞きする言葉ではあるが、故人はもはや己の中でしか生きることは無いのだ。それすら途絶えたときはじめて”無”に帰るのではないかと実感しているし、己の無化に耐えがたい人類の性のようなものが、誰かに語られ続けるようになろうとする原動力にもなるのだろう。
見覚えのある景色、耳の後ろから呟くBGM、痛みに飛び上がる最中、氷を回すストローの抵抗、産毛にかかる微風、立ち昇った香り。ふとした刹那に永く揺さぶられた意識がどこからか拾い上げる人達がいて事物がある。そのことに気づいたなら、その夜でもその時でも構わない、記憶の隅からどうにかして探り見つけ、できることなら触れたいと願ってしまう。
私は葬儀などしたくない、生き死にを理解してもらう必要もない。ただ関わらせてもらったその時を誰かが想ってくれたのなら、望外の幸せにいられる。そこで私は生きているのであり”そこ”でしか他者の中で生きることはできない。訃報で思い出されたことで、他者に生きることを私は望まない。
渓流禁漁を迎えてすぐに駆け込んだ管理釣り場、覚束ない糸から垂れる毛鉤にも拘わらず随分といい思いをさせてくれた。白く光に揺らめくアルビノは目論見通り金のスプーンに踊ってくれた。あやふやな気分を抱えていたからか、無為に頭をイメージが浮沈し、これはマズいと気づいた時にはもうその痕を消すこともできない。
乱れて美しく太陽を返す水面、反射の奥に覗いて漂う魚影・・・思い詰めてしまって、行くしか手がなくなった自分に呆れ乾いた声が漏れる。もういくらか前に算段はつけてあるのだから避けようもなく、しょうがないんだよと誰もいない空白に言い聞かせ納得を求める。
家族が寝静まった夜、鞄に最低限の道具たちをそっと詰め込む。太陽が昇りそそくさと家を出るのだが仕事の体(てい)である。いつものようにこれから鉄箱の中で人波という混濁に洗われる前の表情たちを伴って、凍えたアスファルトを蹴りつつ駅へ進むわけだが、階段を昇り降りした先はいつもと逆のホーム。都心から離れる方角へ、浮きつ沈みつ消えてはくれないあの場所へ。
既に数名、平日だけれどアクセスはいい場所だから予想通り投げ込んでいるのが見えてくる。それぞれにここにいる理由は違うのだろうけれど、似てもいるような気がして自分勝手な仲間意識を覚えるから不思議なものだ。ドアノブを回し、無人の受付の大らかさに心を弛緩され声もかけずにゆっくりと待たせてもらう。たぶんこの時点で色々な”モノ”が心身から剥がれた。絡まり巻く思念に埃と蝋燭の炎、読経の声音、悲観の首筋、面倒がる口元、どうしていいのかわからない眉間、無邪気な幼児、礼服の皺、無常に繰り返す夜と朝。身体から落ちて向かいの水の泡と輝く反射にまきこまれ、ある形は霧散し、ある姿ははじけて飛翔したのだと思う。
軽くなる腰をベンチに据え付けると、おだやかなままに6本の竿を1本へと組み上げにかかる。糸巻き器からオレンジの糸を気持ち良い音に乗せて引き出す。軽く糸を曲げて竿の輪をくぐらせたら、アルミ箱の中からこれぞと感じた手製のつたない毛鉤を結びにかかり、小穴とよれた細糸にわずかだが確かな苦戦を強いられる。
思ったように上手く踊ってくれない糸を見つめては振り回す。幾度かはらりと落ちた毛鉤に飛びついたり、じゃれたり、見つめたり、ふいにいなくなったり、無視を決め込んだり。その瞬間また瞬間に頭は空っぽ、夢中となって形なく、ついには私自身も水に溶け、泡にもなってはじけ散る。水と木々と空のあいだに漂うだけの何かになることを許される。
さて・・・次はいつサボろうかな。