天空魚(原種を求めてvol.4)

”ゴオゥ・・・ゴオゥ・・・”

不規則に、でも何かの意図があるかのように稜線に吹き上がってくる素晴らしい風は、随分長い時間自分たちをそこに釘付けにした。

ここで何度か感じてきたハイランド現象とはつまり、神さびた風と古代から命を繋いできた森との対話を感じ取ることだと知る。

森羅万象を感じるために心のアンテナを開くことだと気付く。

「都会は石の墓場です。人の住むところではありません。」

かの有名な彫刻家の言葉は、そのままの真実とそれだけでは生きていけないヒトのジレンマとが半々で交錯する言葉に思える。

それならいっそ今、満たされたこの瞬間に霧散し、この風に流され漂う雲になってしまいたい。

おだやかな衝動が精神と身体を貫いてゆく。

軽く眼をつむり、昇ってきた道程を思い出す。ほんのついさっきまで、眼下の沢で天空の魚たちと戯れていた。それはどんな言葉でも表現し尽くせない時間だった。

この日、自分たちは沢山のイワナのクチバシに1つずつ穴を開けてきた。だけど、ただの1匹だって殺さなかった。そのこともことさらに心を爽やかにさせてくれた。

ちょっと前の話し。

「松本さん。去年の3匹、全部ハプロタイプ○○だったよ。」

「つまり?」

「全部、完璧な放流魚だね。」

昨年の9月(三匹のイワナ(原種を求めてvol.3))、友人が釣った3匹のイワナの遺伝子調査の結果だった。

あれから数えてちょうど半年ぶりのハイランド釣行。今回は今までになく遡行距離やルートを綿密に考え、前日夜中に移動し、気合十分で朝を迎えた。

単にイワナ釣りを楽しむだけではない。この沢に息づく可能性がある九州在来イワナのサンプルを採取することも今回のテーマだった。
もし、このことが事実と認められれば、とても歴史的なこと。何だかこの研究に微力だけど協力することが自分の年中行事になりつつある。

夜明けとともに遡行を開始する。しばらく反応が薄い区間が続いた。
友人の村岡くんと顔を見合わせて、あれやこれやと会話をするが、段々と嫌な予感が迫ってくるのがお互いに隠せない。

2時間程歩いてやっと1尾ずつキャッチし、この日初めて座って煙草に火をつけた。もう日は高く昇っている。

さてどうなるかな、と思い釣りを再開してすぐ、状況が一変した。

果たして気温なのか、日照なのか、それともポイントなのか。

今まで渋々とのろいチェイスしか見せなかったイワナたちがうって変わって次々とアタックしてくる。

小さいもので6寸。9寸以上の個体もそれほど苦労せずに次々と釣れてくれる。

コツと言えば、一旦ボトムに着底させ、数回ロッドティップをあおりフリップで誘いを入れ、スローリトリーブに徹すること、くらい。
他に水生生物がほとんど見あたらない源流域。イワナたちを観察していると、極端に流下物を待ち構えているのが分かる。流れ込みから上をジーっと眺めている光景を何度か目にした。

だから、大事なことは最初のフリップで確実に捕食スイッチを入れてあげること。
流れ込みから落ちてきた虫や沢ガニなんかが水中でもがくようなイメージ。

一旦スイッチが入ってしまえば、イワナたちは結構長い距離をチェイスしてきて、次々とスプーンに噛みついた。
逆に最初の誘いが中途半端だと岩の奥に潜り込んで決して出てこなかった。
水量の少ない源流では一部始終が見えることも多く、これはこれでとても面白いゲームだ。

しかしつくづく、よく言われるとおり、本当にイワナは愛らしい魚だと思う。
ヤマメと比べるとどこか鈍くて、でも、一生懸命スプーンを追ってきて、ネットに収まっても目玉をクリクリ、身体をグネリグネリとさせながらイヤダイヤダと言っているように見える。

何かどこかにこんな魚いたよなあ、とネットの中のイワナをまじまじと見つめ、思いをめぐらすとアラカブ(カサゴ)の愛嬌ある顔が浮かんできた。ボトム付近にステイする性質といい、岩陰が大好きな性格といい、上がってきたときの愛らしい顔といい、とても良く似ていると感じた。

ここぞとばかりに、思い入れのあるスプーンたちをとっかえひっかえしてイワナたちと遊んでもらう。気がつくと20本くらい持参したDNA採取のためのサンプル瓶(バイアル瓶)がもう数本しか残っていなかった。全部が全部のサンプルを取っているわけではないのに。渓流ルアーとしては入れ食いと言っていい時間が続いた。

ここまで釣れ続いてきたイワナたちの腹部や側面には、こんなオレンジ色の鮮やかな斑点があった。また、身体は暗緑色に紫色を少し混ぜたような独特の美しい色彩をしていた。それは深山の化身として成長する中でそうなってきたのだろう、そう思っていた。

ところが、本当にちょっとした、しかし魚止めにはなるような場所を越えるとその色彩が一変した。
相変わらず比較的イージーに反応してくれる点は変わらないのだが、その身体にはオレンジ色がない。暗緑色や紫色もキレイになくなっていた。

釣れてくるどの個体にも頭部にゴギの特徴と言われている虫食い模様もうっすらと見える。

そして、とうとうバイアル瓶が最後の1本になった直後に釣れたこのとびきり上品で美しい1匹。

自分たちには遺伝学的な知識は全くない。
ただ、そこまでのボンヤリとした直感が強い違和感に変わった。ヒトという動物の本能がこのイワナの姿に呼応した。

上の写真と見比べていただくとよく分かると思う。淡い茶色と、白点のみを散りばめた体側。さっきの場所からほんの数十メートル離れた所から、釣れるイワナはこのタイプばかりになった。

この輝きがきっとそうだ!ヒトの手が及ばないところで生き続けてきた、神々の手のひらが四季折々、何万年も優しくなで続けてきたイワナたちだ!

生物学的な根拠は何もない。結果を得るには専門家の慎重な判断を待たなければいけない。ただ、ヒトによる放流というものが考えづらいこの川のシチュエーションも手伝って、きっとこのイワナたちがそうなのだと強く思えた。

彼らこそが、この地に古来から息づく天空の魚なんだと思う。また、そうなんだと信じたい。

脱渓するポイントに来て、改めて川をのぞき込んだ。他の魚は全くいない。時折、自分たちの姿を見て転げるように逃げる沢ガニや、小さな小さなカゲロウしか見えなかった。限りなく美しいが、イワナが生きるには生命感に乏しい沢。

そんな中で彼らは命を繋いでいる。細々と、健気に生きてる他の生き物を食べながら。彼らも他の命を奪わないと生きていけない。我々と何も変わらないのだ。たとえそれが放流魚でも、在来魚であっても。

だけど、ヒトとして生きてきて、ヒトの手垢が全く付いていない可能性のある何かと触れ合えることが、これほどまでに普段埋もれている心のうぶ毛を逆立ててくれるものなのか。

何とも言いようのない感傷が何度も何度も訪れてきた。

渓流釣り師には、昔から情熱的な人が多いようだ。色んな話しを聞いてつくづくそう思う。

「え!?こんなところを移動して放流した?」こう思わされるようなことは1回や2回ではない。

ただ、その土地在来の魚以外を放流する場合はよほど慎重に調べて行わないといけないと思う。それは今も昔も変わらないことだろう。

よく指摘されるとおり、九州のイワナたちはそのほとんどがきっと人為的に放流されたもの。ヤマメを駆逐してしまうという理由で極端に忌み嫌われている川もある。

しかし、そうじゃない可能性を模索している研究者の方もいる。数万年のロマンを解き明かそうと挑む学者がいる。

もしこの場所を知っている方がいらっしゃったら、どうか放流しないで欲しい。殺さないで欲しい。手垢を残さないで欲しい。彼らは、もしかしたらそうなのかもしれないから。

吹き抜けていくどこまでも爽やかな風に、知らず知らずに「うわぁ」という声を上げていた。まるで耳の奥まで充満する風の音に呼応するかのように。

神秘とは神が創った秘密のことなのだろう。それならばこの日、自分たちはその秘密を少しだけ垣間見せてもらえたのかもしれない。それくらい全てが美しく、かけがえのない1日だった。

ハイランドの天空魚たちが、これから先もずっとここで命を繋いでくれることを心から願いたい。

松本 宏人

松本 宏人

投稿者プロフィール

生まれ:1970年
メインターゲット:トラウト
メインフィールド:湖
-メッセージ-
幼少の頃から様々なルアーフィッシングに親しむ。
物をなくすのは、単にだらしないだけではないかとの噂も。
宮崎市在住。

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