今にも地上に落ちてきそうな灰色の雲の下、ひたすらに続く林道をガタゴトガタゴトと進む。
それがどこであれ、初めて行くフィールドは道のりが長く感じられる。悪路が続くところなら悪い意味でなおさらだ。
渓流魚には全国津々浦々色んな呼び方があるが、九州ではではヤマメのことを「エノハ」や「マダラ」なんて呼んだりする。
「エノハ」というのは榎木(えのき)の葉っぱ、という意味で、自分が住む宮崎県で言うと主に県北の方で使われる。
「マダラ」というのはそのまんま斑(まだら)模様のことであり、腹の下部分まで黒点が散りばめられているのが大きな特徴。宮崎県では主に県央以南で使われる。
この日もまた放流なんてものがないであろう照葉樹林の最奥へ原種の、在来のマダラを求めて車を走らせた。
ヤマメやイワナの研究をライフワークとしている大学教授と現場を熟知した先人。こんな2人が揃えば「原種」という宝物探しに没頭してしまうのも無理はないだろう。教授からはDNAの話しを。先人からは遠い昔の、ヤマメ天国といわれた宮崎の渓流の話しをそれぞれ聞かせてもらえる。
ちなみに先人とは、歴史ある「九州ヤマメを守る会」の役員の方。どういったご縁か、釣りとは全く関係ない所で知り合いになり、頻繁に顔を合わせる間柄になっている。まさしく九州ヤマメの生き字引が集う会の重鎮。その膨大な経験と知識はひたすらにすごい。昭和のむやみな情熱はこれほどまでのものだったのかといつも驚かされる。
「○○谷ってどうなんですか?」
なんて聞くとどこからともなく飴色にヴィンテージ化した2万5千分の一の地図を数枚出して、器用に繋ぎ合わせて自分に見せながら、指さし、
「あぁ~。ここですねえ。普通車で全然問題なく行けますよ。多分放流は全然していないでしょうねえ。」
と教えてくれる。
ただし、この後で大抵いつも
「まぁ、20年以上前の話しですけどねえ。」
というフレーズが付いてくる。そしてこれがとてもクセ者なのである。
自分の車は燃費が良くて頻繁な釣行にはとても役立っている。後部シートをフルフラットにすれば現場で体を伸ばして寝ることも出来て、とても快適なのだが、いかんせん街乗り用のSUVで、いわゆるジムニーのようなオフロード車ではない。
今まで必死でハンドルを握りしめながら、背中に冷や汗をかきつつ林道を詰めて、泣きそうになりながら諦めてUターンして帰ったことは1度や2度ではない。20年の月日が林道をすっかり荒廃させてしまったのか、あの頃のセンパイたちがちょっとおかしかったのか分からないが、中にはジムニーなら、とかいうレベルを超えた場所もたくさんあった。
この日の林道はこんな話しからするとまあまあキレイだったが、何せ距離が長かった。全く人っ気のない山中をダラダラグネグネウネウネと、15㎞くらいはあったのではないか。そして釣り場まであと数㎞というところでこの落盤。単独釣行ということもあって、少し怖くなり、かなり悲しい気持ちになった。
車を降り、大股で一歩、二歩、落盤と道の端を測り、車の幅と比べる。
何とか行けそうだ。そろりそろりと岩の横を通り過ぎ、釣り場を目指した。
やっとの思いで現場にたどりつき、ロッドを振る。さすがにこんなところに来る釣り人も少ないのだろう。森のマダラたちは素直に自分の相手をしてくれた。
サイズはともかく、次から次へとマダラはスプーンにアタックしてくる。バイアル瓶にサンプルを採ろうと思っていたが、全部採っていたらあっという間に持ってきた20本がなくなってしまいそうだった。
以前教授から聞いたのだが、1つのサンプルのDNA解析結果が出るのに大体1万円以上はかかってしまうそうなのだ。
魚の見た目と遺伝子の特殊性に相関関係が必ずしもあるとは限らないらしいが、この日は特徴的な個体だけアブラビレをもらって帰ろうと思った。
標高400mと少し。ヤマメの生息域としては決して高い方ではない。
分厚い照葉樹林の緑が沢に覆いかぶさる。まだ寒さが少し残る5月上旬。
北国のように雪代なんてものがない宮崎の沢は渇水気味だ。
ただ、森の木々は原生林そのもので、その懐にたっぷりと水を含んでいるに違いなかった。雪がない代わりに宮崎には木々を慈しむかのような雨が年中降る。
10数匹を釣った後、釣れてくれたこのオチビちゃん。いびつで丸っこいパーマークが特徴的だった。この日初めてサンプルをもらい、また流れに返す。
このサイトをご覧いただいている方々からすると、何を今さら的かもしれないが、最近再認識したのが、サトウオリジナル アンサーのポテンシャルの高さ。この日のように水量の少ないフィールドでは3gをヘッド部分のスプリットリングを外して使っている。
思うに、源流や水量の少ない渓流では、鋭角的すぎるルアーのアクションを好まない魚が多い。いわゆるキビキビとした動きが過度のプレッシャーを与えてしまうことがあるのだ。
そんな場所では中層~ボトムのレンジをリトリーブとリフト&フォールを織り交ぜながらヌラリヌラリと滑らかに、ネチネチと誘うことでバイトが得られるケースが多い。この攻め方はスレの進行が少なく、例えば同じポイントに10回以上投げ続けた後に突然「ガツン!」と来るケースも少なくない。
水量が少ないと1投ごとに変化する魚のリアクションが遠目に見えることがあって、そんな時は楽しく釣りが出来るし、何よりその日の魚のコンディションがよく分かってとても勉強になる。
こういう釣りをする時、厚すぎないブレイドが独特のゆったりとした、しかし粘り強いアクションを産むアンサー3gはもってこいの1枚だ。
スローリトリーブしても必死に浮き上がりを押さえて健気にアクションし、フリップでリフト&フォールさせても、魚が嫌がる鋭角的な動きをせずにとても滑らかな曲線を描いてターゲットを魅了する。
繰り返すが、この釣り方で一番大事なのはレンジ。例えそのポイントの水深が30㎝くらいしかなくても中層~ボトムを狙うイメージを持っていなくてはならない。
以前、友人と釣りに行ってここぞ、というポイントで釣れない彼に、「2~3㎝レンジを下げるイメージで釣ってごらん。」と伝え、彼がその通り巻くとすぐに結果が出た。それまで何回も投げたポイントで、だ。
相変わらず今にも泣き出しそうな空模様。釣りをしながらも帰りの道中が時折心配になる。あの落盤箇所があと少し崩れたらもう車は通れない。周りに民家なんてなく10数㎞歩いて・・・なんて想像し、自然と早足で釣り上がってしまう。
そして、ここで一区切りというポイントで出会えた一尾。
ネットインさせて、思わず目を見張り、唸った。
この美しさは一体何だろう。
ここまで釣ってきたマダラたちも確かに美しかったが、この個体はそのスケールが違う。急いでデジタル一眼をスリングバッグから取り出し、撮影を始めた。
その強いヌメリの下に輝く森の色彩が何層にもレイヤーされているのが分かる。
見れば見るほどに目が離せない。
グロッキーにならないように細心の注意を払いながら、優しく話しかけながら何枚も何枚も写真を撮った。
腹部にはご覧のように黒点が高い密度で散りばめられている。「マダラ」の名の由来である。
果たして彼が在来のDNAを持っているかどうかは分からない。
ただ、自分の記憶に強烈に残る出会いなのは間違いない。申し訳ない気持ちでアブラビレを切除し、バイアル瓶に保存した。
この数日前に行ったイワナ(天空魚)は神さびた天空の風がその姿態と色彩を創った魚だったが、対照的にこのマダラはしっとりとした慈雨の森がゆっくりとはぐくんできた精霊のように感じられた。
ありがとう。精一杯生きてくれよ。
独り言のようにぼそりと感謝を伝えて、そっとリリースした。たった20㎝程度の魚にここまで感動できるのも、トラウトフィッシングならではだろう。
もうこの1匹で満足だった。その場でロッドをたたみ、急ぎ足で車に向かった。
帰り道、とうとうパラパラと雨が降り始める。
来た道を走らせると、朝にはなかった倒木が道をふさいでいた。自分が釣りをしている間に崩れ落ちてきたのだろう。
車を降りて、一抱えもある木を引きずりながら斜面に落とし、車の通り道を作っていると、やっぱりまた少し怖くなり、かなり悲しい気持ちになった。
ただ、こんな場所だからこそ彼に会えたかもしれないと思うと、また来てしまいそうになる自分もそこにいて、何だかなあ、なのである。