最近、長年意識し続けてきたアングラーと一緒に釣りに行った。
もう随分昔、このサイトが始まる数年前から彼のブログにある写真、使われているフォントのセンス、そしてファッション。月並みな言い方だが、素直に格好いいと思った。
まるでアートのようだった。「魚釣り」でこんな世界観が出せるなんて思ってもみなかった。
当時の自分は今ほど釣りに没頭していた訳ではなく、余暇の時間の多くは楽器に費やしていた。しかし、そんな中でも彼のスタイルは常に自分の頭の中で一定のスペースを占めていて、やがてそれは憧れへと変化していった。
偶然にも、自宅の数㎞圏内に住んでいる彼は近所のカリスマだった。
いつかきっと、一緒に釣りに行きたいと思っていた。
今年に入り、建築写真家をやっている彼の自宅兼スタジオに行ったことがあって、そこで何時間か話し込んだ。言葉の選び方、気の配り方、一挙手一投足、想像していた人物像とそれほど違いはなかった。カリスマはやはりカリスマ的で、一種独特のオーラを放っていた。
彼と一緒に釣りに行くということは釣果とか、そんなものを超えて、自分が憧れていた何者かを確かめに戻る時間旅行のようなものだったのだ。
彼のことを思いつく感じで羅列すると以下のような感じだ。
・青と黒を基調にし、意識して統一されたファッション。
・硬いショートロッド。
・ナイロンライン直結。
・使うルアーはヘビーではない昔のシンキングミノー1種類のみ。
・カラーも1種類のみ。ルアーローテーションは一切しない。
・遡行スピードはとても速く、自分が思わず尻込みする危険な場所もスイスイとパスして行く。
・魚釣りは渓流や源流のルアー、しかもヤマメ釣りしかしない。他の釣りには興味を持たない。
・ウェーダーを履かない渓流釣り、いわゆるウェットウェーディングのパイオニア。
・話すのは好きなようだが、常に核心をずばりと突くシンプルな物言いをする。
そして、
・素晴らしく美しい、また、一目見て彼のものだと分かる特徴的な写真。
彼は、まだ渓流のミノーイングなんて言葉すらない時代からこの釣りを追求してきた。若い頃、全身全霊で遊び尽くしてキンキンに研ぎ澄まされたであろう感性とテクニックは、時を経て円熟の域に入り、滑らかで深い輝きを放つ日本刀のように感じられた。まるで動く工芸品のようだった。
そんな彼のタックルからして初心者や不作法な人ではまともに投げることすら出来ないだろう。
「(最近の使いやすいヘビーシンキングミノーを使って)投げました。釣れました。じゃあ、面白くないじゃないですか。」
「ただ漠然と釣ったってつまらないですよ。どこに魚が付いていて、立ち位置を考えて、リトリーブコースとレンジを計算して、果たしてピンポイントで喰わせるのか、ターンして喰わせるか、そんなのをイメージして、その通り結果を出すのが面白いんです。だから、俺は堰堤とかの大場所にはあんまり興味がないんですよ。」
そして、実際イメージ通りのキャストで、言葉どおりに結果を出す。
「俺は魚釣りが好きなんじゃないんですよ。ガンガンやりながらも、こういう場所の雰囲気を味わうのが好きなんです。」
こうやって書くと少し経験を積んだ普通のアングラーのように思われるかもしれないが、彼の釣りは全てが高次元で、正確で、丁寧なのだ。決して普通ではない。
自分にとっては初めての渓流。彼は距離を取りながらも常に自分に気を配ってくれていた。それもよく分かった。
本当に久しぶりにビリビリしびれるような相手との時間を共有出来た。
「まぁ、それでも自由にやればいいんですよ。遊びなんだから。」
「自由」
それが道中、彼が何回も何回も口にした単語だった。
コラムを書くときはいつも、言葉の雲海からキーになる単語をいくつかつまみ上げるところから始める。
しかし、彼のことを描写しようとするとき、この「自由」という単語がずっと頭の中を占領して、他が浮かび上がるのを許さなかった。
自分自身、ある程度のコトノハ遣いだという自負はあるが、彼の言葉は特に重かった。
その重さはそのまま、長年の憧れがやはり本物であったことに対するものに違いなかった。
「自由」という単語を現在のようなニュアンスで使い始めたのはどうやら福沢諭吉らしい。英語の”Liberty”を和訳するときに最終的に落ち着いたのが、現在の「自由」だそうだ。
”Liberty”とは、努力し、研究を重ね、結果勝ち取ることが出来る「自由」だ。
元々自然に備わっている、何もしなくていい、とか、与えられるだけ、といったいわゆる「あって当然」というニュアンスを持つ”Freedom”とは違う。
まぁでも、自分は醤油と味噌で育った生粋の日本人だから、英語のニュアンスで言われても今ひとつ釈然としない。
もう少し検索を進めてみると、以下のような文章が見つかった。仏教関係のサイトだった。運営されている方に許可を得ている訳ではないので申し訳ないとは思うが、一番腑に落ちたので、そのまま引用させていただく。
”本来「自由」という言葉は、仏教用語で、【自らを由(根拠)とする】と読みます。
自分で決めて行動したのだから、その結果、いかなる事態が引き起こったとしてもすべて「自分を理由にする」ということ。
自由に選んだ結果、何が起きてもその責任は自分にあります。
人になすりつけるものではありません。
「自由にさせてくれ、だけど責任は持たない。」
そんなおもしろい自由はありません。自由には責任が伴うのです。”
やっぱり自由とは”Freedom”ではなくて、”Liberty”なのだろう。じゃなければ人生面白くないじゃないか。
また彼もきっとそうやって強く生きてきたのだろう。だから言葉の端々に強い意志が自然とにじみ出るのだろう。太いオーラを纏(まと)うことが出来るのだろう。
結局、つまるところ、人は見たいものしか見えないし、聴きたいことしか聴けない。
だからこそ自分は彼の一挙手一投足、言葉の一葉一葉を感じようとした。
「こんな釣りをしてみたい。」とある時期のスタートだった人物は自分にとってある種一区切りのゴールだったのかもしれない。
彼もこのサイトを見てくれていたらしく、原種を求めてサンプル採取に熱心な自分のためにと入念に釣り場をどこにするか心を砕いてもらった。
流石エキスパートだ。教授の言う原種ヤマメの特徴である丸くて2段になったパーマークが次から次へとキャッチされる。
まるでヤマメという魚の標準的な模様が丸いものだと勘違いしてしまうほどに。
彼のお気に入りだという一服の景色を見せてもらい、ヤマメの美しさに2人で感嘆の声を上げ、徒然な四方山(よもやま)話しをする。
途中、彼が尺上の立派なランカーをキャッチしたが、写真を撮る前に逃げられてしまった。しかし、彼と釣行することが出来た。実はそれだけで十分満足だった。
実は、彼には言わなかったのだが、この時期、自分の心にはポッカリと暗くて大きな穴が開いていた。
詳しいことは書かないが、ミュージシャンをやっている弟が病で倒れてしまったのだ。
年齢柄、こんなことは最近よく身の回りに起こるようになってはきているのに、彼がそんな状態になったことは、自分自身予想をはるかに超えてショックだった。しばらくは心身に力が入らなかった。
幼いころ兄弟で聴いていた音楽をyoutubeでぼんやりと見続けた。
今から釣りをストップして、とても追いつかないが一生懸命楽器の練習をして、元気になってくれたら一緒に演奏したいと思った。思っているほどそう長くないであろう人生の残り時間に何を刻んでゆくのか、悩んだ。
そんな中での彼との初釣行だったのだ。
「自由にやればぁいいじゃないですか。もったいない。」
ここまでスプーンにこだわって釣りをし続けてきた自分に対する彼の言葉だった。何だか、素直に同意している自分がいた。
やはり必然だったのか、カリスマとの時間は自分の転機になるものだった。それは多分、釣りだけではないのだと思っている。
最近はずっと、夏目漱石の「草枕」を読んでいる。文豪とはよく言ったもので、膨大な語彙から紡がれるあまりに流麗な文章は、当時西洋化に突っ走ったであろう日本の、大昔から続いてきた原風景と人間の心とを言葉の配列だけで、情景のみならず空気の湿度までをも想起させてくれる。
明治時代の難読な漢字が多いが、巻末の注釈を見ながら読み進める価値は十分にあると思う。特にその冒頭部分は自分の心を捉えて離さない。
(※以下引用)
「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角(とかく)に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い(※安らかな)所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶(なお)住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊い。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、難有(ありがた)い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。
あるは音楽と彫刻である。こまかに云いえば写さないでもよい。只まのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」)鏘(きゅうそう)の音は胸裏(きょうり)に起る。
(アイデアを紙に記録しなくても、玉で作った楽器の美しい音色が胸の奥から鳴り響いてくる。)
丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼(しんがん)に映る。
(絵の具をことさらにキャンバスに塗らなくても、美しい色彩はおのずと心の眼に浮かんでくる。)
只おのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得れば足る。
(ただ自分が住んでいる世界を、このように見、自分の心でこのけがれ濁った俗社会を清らかに、うららかに写し撮ることができればよい。)
この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、)なきも、
(このために声なき詩人が一句も書かず、色なき画家がキャンバスを持たなくても)
かく人世を観じ得るの点において、
かく煩悩を解脱するの点において、
かく清浄界に出入し得るの点において、
又この不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立し得るの点において、
(またこの芸術の世界を自分の中に確立するという点において)
我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、
――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
(億万長者よりも、国の支配者よりも、全ての俗社会の寵児よりも幸福である。)
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。
二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所には屹度(きっと)影がさすと悟った。
三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。
金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。
恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。
うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。――」
(※引用ここまで)
「あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊い。」
釣りだって間違いなく、人の世を長閑にし、人の心を豊かにしている。
それでも、果たして釣りは芸術たりえるのか。
以前書いたコラムの内容だが、まだ自分の中にその答えはぼんやりとしている。だからこそ、またこれからも追求したいと思っている。
カリスマとの釣行。弟の病。この2つの出来事が自分に与えた影響は決して小さくない。残りの人生、もっと自分を理由にした釣りをしてゆこうと思った。
唐突だが、おそらくこの”TailSwing”で文をしたためるのはこれが最後になると思う。
そして、少しの間筆を置き、またどこかで細々とスタートしたい。
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ここまで稚拙で冗長な文章を読んでいただいた多くの方々、一緒に遊んでくれた友人たち。そして、ずっと支えてくれた管理人の藤井くんには心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。
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彼が歩き続ける道はこちらで確認できます。