釣りには集中力が必要だ。日頃からイマジネーションを膨らませ、胸をときめかせながら準備をし、夜明けまだ暗い中を、寝不足を押さえつけながら車を走らせる。
そして、いざフィールドに立ったら楽しみながらも心を研ぎ澄ませ、水に対峙する。大抵の場合、集中すればするほど釣果に恵まれる。もちろん、相手は人の意思など及びようもない自然だ。釣れる日、釣れない日、人事を尽くしても、どうしようもない日もある。
それでも、集中力と経験があれば、10匹が20匹に。0匹が1匹になる。この違いは、大きい。
しかしだ。
人生において数回しか出会えないようなランカー。数え切れない命の危機をくぐり抜けて老成化した大物。美しい獣のような魚。彼らは違うような気がする。
彼らはきっとアングラーの殺気を感じることができる。そう信じる。
何というか、ふと気を抜いた瞬間。集中のエアポケットのようなタイミングで、突然襲いかかってくる。もちろん、そのフィールドで「ランカー」と呼べるサイズは違ってくるだろう。
自分の場合、それは御池のレインボー。70㎝オーバーが目標だ。
3月15日。この日は時間をずらして明るくなってから家を出た。夕方までやってみるつもりだ。大体御池のこの寒い時期のゴールデンタイムは把握できてきた。その周辺を攻めてみる。
御池に着くと、ちょうど良い風が顔をなでる。向かい風。沖で泳ぐ鳥があおられて泳ぎづらそうにフラフラと漂っている。岸に波が軽く押し寄せる。この波と風はきっとレインボーの警戒心を解いてくれるだろう。
最近は、御池でも毎回1匹はレインボーに会えるようになってきた。天気は晴れだが、期待が持てる日になりそうだ。
表層~中層をメインにときに主に使うのは㈲渡辺商会のバッセルという有名なスプーン。比較的薄いブレードに流れるようなシルエット。キャスティング用の本格的なアワビ貼りスプーンの元祖ではないだろうか。一つ一つ手作りで製作しているらしく、とても美しい。泳ぎもくねりくねりと艶めかしく、見ているだけで幸せな気分になれる。実績も申し分ないスプーンだ。
中層からボトムを攻めるときは主にアングロ&カンパニーのHOBOスプーンを使う。クラシックなデザインだが、小さいフォルム・肉厚なブレードで飛距離が出るし、カップの角度が急で派手なアクションをする。その性能は現代的なスプーンと言っていいのではないだろうか。今年の1月3日に45㎝の美しいレインボーを引き寄せてくれた一生忘れることのないであろうスプーンだ。
テントウムシみたいなFLRというカラーが特に気に入っている。ティーザータブもクラシックな雰囲気を醸し出していて、とてもいい。
バッセルを逆風の中、キャストする。上手に投げないとひらひらと手前に落ちてしまうが、きちんとキャストすれば、水切り石のように空中を一段、二段と跳ね上がりながら沖を目指す。こういうところもトラウトルアーらしくて愛らしい。繊細なのだ。
釣りを始めて数投で「コツン」とバイトがあった。やっぱり今日はいい日だ。しかし、おそらくは小さいレインボーだろう。とりあえずコイツと遊んで、それからまたランカーを目指そう。そう思って、ライトタックルに持ち替え、スミスのピュアをバイトがあった辺りにキャストする。比較的近い距離だった。
直後。「ガチン」
と痛みが走るような衝撃。
瞬間、体中の血流が止まる。ほどなく心臓は早鐘のように鳴り、頭に猛烈な勢いで言葉と想いが駆けめぐる。大胸筋がおびえている。想像を超えたショックを受けると、体はこんな反応を示すのか。「凶暴」という言葉が魚の形になって襲ってきた。鉄の塊で頭を強く殴られたようだ。
「なんだ・・・なんだ・・・。」後悔よりも、意味もない疑問符が頭を駆けめぐる。
1メートル近いカンパチ。自分の身長くらいのシイラ。50㎝オーバーのバス。10㎏オーバーのキハダ。メーターオーバーのライギョ。尺ヤマメ。芦ノ湖で釣った60㎝オーバーのレインボー。それぞれのタックルで、手近で行けるところでは、まあまあの経験は積んできたと思う。
しかし、どう比べても体験したことのない衝撃。こんなタックルにこんな規模は、まぎれもなく初めてだ。
完全に油断していた。集中力がなさ過ぎた。スプーンに付けていたループフックは随分前に買った太軸のもの。針先のチェックもしていなかった。ショートバイト対応のフックにしていればよかった。何より、スプーンの振動を感じやすくするためにカーディナルのクラッチをオフにしていた。こんなのが来るなんて、まったく予想していなかった。
そのせいで、バイトの瞬間、ハンドルが半回転くらい逆転してしまっていたのだ。
ああ、息苦しい。楽しい。悔しい。楽しい。
御池は自分に本当に本気で釣りをさせてくれている。ここからは時間の経過すら忘れて、キャストし続けた。脳はものすごいスピードであらゆることを考えている。集中力は途切れない。答えを求めている。
もう1回、ヤツに会いたい。
途中、尺たらずのかわいいレインボーが遊んでくれた。キミじゃないけど、ありがとう。写真を手早く撮ってリリースする。大きくなってくれよと願いながら。
気がつくと、本当に夕方だった。湖面も無風になり鏡のようだ。沖合にはアヒルとおぼしき親子が優雅に泳いでいる。単独釣行は意外と独り言が多くなるものだが、この日ばかりは普段アヒルのようにガーガーとまくしたてると言われる自分が全く無口だった。一人で苦笑いして、ロッドをしまう。負けだ。惜しかった。
ふとラインのことを思い出す。エリアでトラウトをやっていた頃、出始めのPEを使ったときのことだ。あの頃は今ほどPEラインが実用的ではなかったが、超高感度というフレーズにバイトした。きっと山ほど釣れるはずだと。
結果、ことごとくトラウトのショートバイトを弾き、釣果は全くナイロンに及ばなかった。この日もバイトは結構あった。ベストシーズンがもうすぐ来ると言われる御池で、魚は結構多かったように思う。サクラマスを狙う人や、芦ノ湖でキャスティングをする人の中には、いまだにナイロンを使う人もいる。その理由がつくづく身にしみた。
とりあえず、フロロのリーダーをやめて長めのナイロンリーダー。ショートバイト対応のフックでこれから御池と対峙しよう。夢を求めて。一歩一歩だ。