誘われるまま、またここに立って鉄片を投げ込んでいる。
御池、横にいる大兄の浪漫ある言葉にほだされて、もうまる2年が過ぎた。
チャンスは何度かあった、合わせられなかったり、空中でその先の尖った楕円を描く針金を呆気無くはじき飛ばされ、力無く笑ったこともあった。
重く、力強い抵抗の大口な魚体に苦笑いすることも。
どうも上手く抱き上げさせてくれない。でもなぜかその時間も嫌いではなかった。後進に先を越されても不思議なほど焦ることもない。釣れる釣りなら他でやればいいし、それはもうよかった。
霜は降りたまま消える気配もなく、頬を通過する風がやけに冷たい。気持ちは暖かな全開の日差しを待ちながら晴れやかに清む。後ろではノットを組みなおす大兄がおそらく自分にだろう、何か話してるが聞き取るつもりもない。手元で巻き上げるその重さ、糸の動き、竿先に80%ほどの自分を置いている。
手前のかけ上がりをもうすぐ通過するなぁ、ここでちょっとだけ持ち上げ、すぐに放す。きっと水中では艶めかしく動いているだろうなぁ。空気の冷たさと対比するような脳内の緩み、幸せな時間。
コツ
というよりは
コ
緩んだ身体が反射的に合わせていた。
あ、虹鱒だろうな。頬の緩むやりとりのなかで、頭は温かくなっていたおかげか冷静だった。
奥多摩フィッシングセンターでの経験も今思えば役立っていたように思う。地に足がついて、ただ自然に、流れる。
ランディングに駆け寄った大兄が声を上げる、それでも何故か焦らない、いつもなら狼狽しただろうに。
無事、ネットイン。
大の男が抱き合う、うん。最初の一尾にして出来過ぎた贈り物。
写真よりリリースが気になり叱られる。
すっかり放心して、これを自分が釣ったとは未だに思えない。
体型、色、顔。欲しかったその姿。ここ宮崎でこれだけの魚はそうそう無いだろう。雑誌やテレビで見ることだけだったが、今この手の中にある。その確実な存在感が逆に夢なのか現なのかふわふわとさせるまま、じっと見てよく分からない感嘆の声だけが喉から絞り出ていたように思う。
一生の思い出になる。
ここでも使ったのはサトウオリジナル、アンサースプーン11g。カラーは蛍光色のK7だ。
この一枚はもう使わずに、想いと一緒に飾っておこう。
手の中から離れてゆっくり泳いでいく、なんとも表現できない、伝えられない余韻が広がる。
どうせなら正直に書いておこう、全くもって実力とは関係ない一尾だった。偶然の一致と仲間の情報、サポートが全ての要因。感謝しかないが、もう少しだけ勘違いできる程度は自分の釣りを磨く必要があると痛感もする。またひとつ、愉しみが増えた。
昔を知る人に聞いた所、この御池はそれこそ全国でも有名な虹鱒のポイントとして名を馳せた時代があったようだ。恥ずかしながら全く知らなかった。
しかし、その後、つまり今は知る人ぞ知る、昔は釣れたが今は釣れない、もしくはブラックバスのスポットとしての評判が主になっているように感じる。なんとも勿体無い気持ちに囚われる。
これだけの魚が見れる場所は九州でもそうはないだろう、ましてや湖、小さいが深く、美しいこの場所で魚を狙う喜びはいつだって最高で、価値の高い遊びだと考えている。
前日からの雨、気温の変化に「いつもの御池」が調子にのるなと言っているようで、手を尽くしたけれどかすりもしない。沖ではごくごく小さな羽虫への捕食が散見される。
いつまでも続けたい遊び。