「どうしてだろう。頭の中にあの頃のカタログの映像が鮮明に浮かぶんですよ。ロッドのスペック表示なんか全部覚えている。リール、ルアーもそう。まるで写真を見るように浮かぶんです。僕は頭がおかしいんでしょうかねぇ。」
「うん。確かにおかしいね、関根さん。おかしいと思う。」
「それは褒め言葉として受け取っていいのかな。」
「まあね。」
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小林秀雄がその著書「無常ということ」で記した一節がある。
「(前略)上手に思い出すことは非常に難かしい。だが、それが、過去から未来に向かって飴(あめ)の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。」
自分はこれを「時間の進むスピード、ベクトルは実は一定ではないことがある。」という少し極端な捉え方をしているのだけれど、彼の頭の中ではまさしくそれが起きているのだと感じた。
特に昔のルアーフィッシングに関して彼が語るとき、あまたの経験に裏打ちされたその知識の膨大さ、正確さにはいつも驚かされる。
何の誇張もなく、ただひたすらにすごい。しかし、実は自分が一番気になっているのはその語り口調と目の輝きだった。彼の奥底を覗いてみたかった。
語り部になっているときは、まるで博物館の展示コーナーにある無機質な機械仕掛けの音声ガイドのようにひたすら淡々と、正確に話し続ける。周りのことなど、まるで気に掛けていないようにすら見える時もある。
そして、時間をさかのぼり、横断しているときのその眼はまるで何かが憑依(ひょうい)したかのように、確かに人間離れした輝きを放つ。まるで透明な水晶のように。
実は実際に会うのは今回が初めてだった。
全国を日替わりで転々とする仕事に就いている彼にとって、スケジュールを特定させることは簡単ではない。
その日、自分たちは隣県の某有名河川に来ていた。
好天続きの週末、友人にポイントを教えてもらったとは言え、アクセスのいい本流での初釣行。
多分2人でいいサイズが1本出れば御の字だろうと思っていた。
シェルバイトに目測35センチ位のヤマメが近くまで寄ってきて、シングルフックに軽くキスをし、ゆっくり元の場所へ戻っていった。
友人はスミスのヘブンで10センチに満たないミノーのようなヤマメを釣った。
釣行について書けるような出来事はたったその2つ。
やはり激戦区の本流は一見(いちげん)さんにそれ程優しくはなかった。
照りつける5月の陽射しに、すっかり2人ともグロッキーになり、午後になるとすぐに木陰で昼寝を決め込んだ。
その間、彼とはメールで会いに来られる、来られない、のやり取りを繰り返していた。会える時間・場所がやっと決まったのは16時過ぎ。
九州の日本海側から中心まで、100km弱。わざわざ遠回りをして高速PAまで来てくれたその男は、ネット上でやり取りをする時よりも随分ソフトな雰囲気をまとっていた。
ほんの1時間半会話を交わし、その週の夜会える可能性を告げて、彼はまた長い旅路に戻った。
それから数日が過ぎ、なおも二転、三転。ようやく会うことが決まったのは当日の夕方だった。半ば強引に自分が住む市内に宿を取ってもらった。
連れていく店は決まっている。ここしかなかった。
前回のイベントにも来ていただいた日高さんが経営するバー、その名もヒダカツリグテン(https://www.facebook.com/HIDAKATURIGUTEN/)という。
多くの有名アングラーが訪れている店。この日は何故か、バーカウンターにズラリとレッドヘッドのプラグたちが掛けてあった。
全長60㎝はあろうかというベイビートーピードのオブジェに始まり、店内の随所に往年のアングラーの心をくすぐるギアが陳列してある。
そして、偶然か、必然か、話は開高さんに及ぶ。
すると間もなく、カウンターの奥から唐突にABUの”ZOOM1”が目の前に現れた。あの「フィッシュ・オン」に書いてあるロッドが目の前に、ある。
ここにこんなものがあるなんて、本当に知らなかった。
そこからしばらくは彼のより一層熱を持った講義に耳を傾けることになる。
「ほら、ここにスヴァングスタっていう文字が見えるでしょう?これはあのABUが始まったモラム川のほとりの~・・・。」
一段と熱を帯びてきた話しの中、自分はウイスキーを少しずつ含みながら彼の中心核らしきものをおぼろげに捉え始めていた。
彼は人間関係をとても大事にする。
この前も、「次いつ会えるから分からないから。」とわざわざ遠回りをして会いに来てくれた。ほんのわずかな時間のために。
また最近、大事な釣りの師匠が亡くなられて、とても悲しんでいた。
他にも、よく先輩アングラーから道具をプレゼントされるらしい。彼より更にすごいキャリアを積んでこられた方々から。
釣りに関しては既に達観の域にいる。たまにふと見せてくれる20年くらい昔の写真にはびっくりするようなトラウトが映っている。何枚も何枚もだ。
カスケットの手島さんが自分に教えてくれた格言。
「第一段階は、数のみを喜ぶ少年時代。第二段階は、大きさのみを誇る青年時代。第三段階は、釣り方にこだわる中年時代。そして、第四段階は、他の人に釣らせて喜ぶ老年時代。」
自分より年下なのに、その中身はおそらく随分前から第四段階だ。
彼は「釣り」というもののコアな部分を知っている。
実は、道具やテクニックなどというものは2次的なものに過ぎない。
数釣りをする方法なんて、いくらでもある。また、どんな老獪なランカーであれ、場所とタイミングが合えばあっけない位簡単にバイトすることだってある。
大事なことは、そこまでその魚が積み上げてきた生と死の営みに思いを馳せ、一生に何回あるか分からない「その時」との出会いのためにシミュレーションを繰り返し、足元から針先まで準備を怠らないことだ。自然に敬意を払いながらフィールドに立ち、運よく出会ってくれた魚たちに感謝と愛情の念を持って接することだ。
ちょうどいい感じにほどけてきた頭をめぐらせ、右横に座る眼の奥を気付かれないように凝視する。
彼の中心核。
それは、アングラーの想いやそれが奥底まで沁み込んだタックルたち。魚の一生や森羅万象。
これらに対する感受性がずば抜けていることなのだと思う。ただ単に釣りが上手いだけではないのだ。
だから、名うてのアングラーたちが自分たちの形見とも言えるタックルを彼に託すのだろう。そこには、当然ある種の期待があるのだろう。
釣りの神を愛し、また愛された男。
ある時、彼にわざと言ってみた。
「関根さんってさ、もちろん釣りに関してだけど、ある種のシャーマン、陰陽師みたいな所があるんだろうね。」
「何ですか急に。びっくりするじゃないですか。まぁでも少し自覚はあるかもしれない。」
果たしてそれが彼にとって祝福なのか呪縛なのかは分からないが、彼は伝えなければならない。それが、先輩アングラーの願いだろうし、自分もそう感じる。
「関根さんはもう繋ぐステージに立ってるんだね。」
「繋ぐステージ、そうです。でも、もう自分はあんまり釣らなくてもいいかな。自分よりこれからの人が釣った方がいいですから。」
「現場に立ったら、少し投げたくなる。それ位でいいんじゃない?でも、たまには目が覚めるようなのを釣って、見せつけないと。」
「1年に一匹くらいでいいですよ。」
「十分でしょ。」
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彼のような人間は他のアングラーにとって水晶みたいなものだ。
鋭利だけど、柔らかく奥深いその結晶はプリズムとなり、普段その本質を見ることができない釣りという光を透過し、色彩豊かな影を映し出す。
そして、見る人に七色の気付きを与える。
伝える、繋ぐ、ということは下手をすると自らが釣るよりも難しいことなのかもしれない。だが、彼はそれをやらねばならないし、次世代のアングラーはまたその次に繋いで欲しい。
釣りの深淵はかくも美しく、豊潤で、荘厳なものだろうから。
あの格言にかかわらず、男の一生に幸福をもたらすものだから。